清塚信也 OFFICIAL BLOG

New Release

2011.09.06

合わせもの1

松本蘭ちゃんとの北海道旭川コンサート、
スーパートリオ3℃のオペラシティコンサートと、
僕としては、結構「合わせもの」が続いた今日このごろ。

蘭ちゃんにしても、3℃のメンバー(石田さん、金子さん)にしても、とてもドライな人たちだ。
彼らには熱い音楽魂と温かい人情みたいなものがあるけど、
人付き合いに関して、少なくとも僕との付き合いに関しては、とてもドライだ。
まぁ、そうじゃなきゃやっていけないから、僕としてはとても助かる。

蘭ちゃんは、高嶋ちさ子さんの申し子だけあって、思った事をズバズバ言う。
気持ちいい。
僕も思った事は言う方なので、
リハーサルではいつも口論まがいの激しい会話が繰り広げられている。

松本「ねえ清塚くん、最近痩せた?」
清塚「そうかなー」
松本「うん、そう」
清塚「そんな事もないよ」
松本「いや、ガリガリだよ」
清塚「ガリガリって嫌な響きだな。自分こそガリガリだよ」
松本「私ガリガリじゃないし」

と、こんな感じで、至って普通の会話のはずが、大体最後は両者けんか腰になります。
しかも、この会話はリハーサルだけで終わりません。
本番の舞台でも、僕らは至って自然。
このままの会話でトークします。

松本「ちょっとさ、前半長いよ」
清塚「ごめんごめん、盛り上がっちゃって」
松本「あー待ちくたびれた」
清塚「これからばっちり目立つから大丈夫」
松本「みなさん聴いて下さいよ、清塚さんは初めて伴奏してもらったとき、私にこう言ったんですよ。
   『僕、人に合わせたりするピアニストじゃないから、僕に合わせてね』って。酷くないですか!」
清塚「あーまたそういう事いう?」

と、まあこれが本番でのトークです。
気づけば、いつも客席からは笑いの合唱が聴こえてきます。
高嶋ちさ子さんが聴きにきてくれた時も、
「あんた達その夫婦漫才みたいなの、いいよ。続けていきなよ」と褒められ(?)ました。
肝心の二人の音楽については感想を言ってもらえませんでした。

でも、蘭ちゃんの音楽、ほんとに良いので、
是非僕らのステージ、お近くで開催されるときは聴きにきてみて下さい。
こんなトークしながら「アヴェマリア」とか「タイスの瞑想曲」とか弾きます。
そのギャップにやられますよ。

さて、次の回は3℃の事でも書くかな。
皆さん良き日を。

P.S 
マウスの脳や胎児を「透明化」出来る薬が開発されたらしいですね。
僕は人生に一度は透明人間になってみたいです。
あ、でも悪い事は考えてないからね。

2011.09.03

昨夜

今日はこれから盛岡にいってきます。
台風が少し心配だけど。
新幹線は雨より風で運行見合わせる事が多いからね。

ここ1、2週間、中一日とかのコンサートが続くけど、
西武ライオンズの牧田投手を思い出して頑張ろうっと。
シーズン中、先発から突然の守護神リリーフ投手への転向。
疲れたまってるだろうなー。
でも、立派に終盤を抑えてくれています。
サブマリンかっこいい~!

そういえば、昨夜は、
サッカー、陸上、野球を同時の時間にやってたから、
テレビのリモコンを手放せない夜でした。
サッカーワールドカップ予選も始まったし、わくわくするね。
野球がスリーアウトになった瞬間に陸上の様子を観て、
まだ走らなそうだなと思ったらサッカーにする。
サッカーで熱くなりすぎると、100%陸上を見逃す。
「あーしまった」とか呟きながら、リプレイとかを観てまた野球の様子を観る。
「よしよし、西武勝ってるぞ」と思いつつまたサッカーへ。

最後は吉田のヘッド!
ハラハラさせられたけど、勝ち点3は大きいね!
とかなんとか独り言いいながら過ごす夜は、これ以上なく幸せです。
じゃあ、盛岡、行ってきます。

2011.09.02


人の「夢」は、幼い頃に手に入れられなかったもので決まる、という説がある。
つまり、子供時代に貧乏な暮らしを強いられていた人は、
お金持ちになる事が「夢」となるし、
親から強い束縛をされた子供は、
大人になるに連れて「自由」を手にしようと必死になる。
いわゆる、「反動」ってやつですね。

でも、「夢」というのは見ている時が夢なのであって、
実際に体験してしまうとそれはもう夢ではなくなる。
子供時代に強いコンプレックスを持ってしまった場合、
そのコンプレックスから逃れる事を「夢」と設定するのだが、
大人になって実際にその夢を達成してしまうと、
その後には虚無が待ち構えている場合が多い。

子供は苦しみに耐える時、現実逃避する。
天国の様な世界を頭に築き上げて、その場をしのぐ。
しかし、その天国が実際にあると錯覚してしまうと、
虚無の穴に落ちてしまう可能性がある。

お金さえあれば...
自由さえあれば...
と言い聞かせ、命を削って頑張って夢を実現させても、
実際に手にした時「なんだ、こんなものか」という感覚に陥る。

「山頂の景色は、登っている時想像するのが一番美しい」
どんなに困難な登山でも、生きて登っていればいつかは山頂に辿り着く。
登山中、命を脅かす様な局面で、
人は山頂の絶景を心に描いて、その恐怖や苦しみから逃れる。

でも、山頂に到達する頃には、
夢を現実として捉え、価値観を変えていなければならない。
山頂に天国は無い。
それが現実なのだ。
その現実を受け止める覚悟のない人は、
山頂に到達した時、むしろ「虚無」という名の地獄が待っている。

山頂に到達する頃には、想像の中の天国のような景色は忘れてなければならない。
自分にとっての「幸せ」とは、夢が叶う事じゃなかったんだと認めなくてはならない。
そこに山があった事、その山を歩ける足があった事、靴があった事、服があった事、
それら全てが「幸せの要素」だった事を認めなくてはならない。

「山頂から観て、一番美しい景色は、小指の爪程の大きさもない、出発地点の山小屋だ」
人は夢を追いかけて生きる。
しかし、夢が叶う事が幸福だと勘違いしていけない。
夢は、あくまで夢なのだ。
実際に体験してしまっては夢ではない。

人の幸福は、夢を追いかける過程で、
足下にあるものに価値観を見いだせるかにかかっている。
生まれ持ったもの、もう既に手の中にあるものが
「本当の幸福」なのだと思えるようになるために、夢を追いかけるのだ。

山頂に向かうのは、山頂に行くためではない。
山頂に到達した時、山頂までの道のりを愛し、
自分そのものを慈しんであげられるようになるために、山頂を目指すのだ。

人に夢と書いて「儚い(はかない)」と読む。
夢は儚いものなのだ。
夢は、リアルではない。
お金を手にしても、自由を手にしても、そこに真実の幸福はない。
夢は、ただ夢なのだ。